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| ■略 歴 |
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| 石田 真敏(いしだ まさとし) | ||
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昭和27年
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4月11日、海南市黒江の洋服商を父に、
5人兄姉の末っ子として生まれる。 黒江小学校、海南第1中学校、海南高校を卒業。 |
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昭和51年
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早稲田大学政経学部政治学科卒業。 同時に衆議院議員 坊秀男(元大蔵大臣)秘書となる。 |
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昭和58年
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和歌山県議会議員に30歳で初当選。
以来3期11年を務める。 |
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平成 6 年
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海南市長に41歳で初当選。 |
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平成14年 平成15年 平成16年 |
衆議院議員(和歌山第2区)に50歳で初当選。 衆議院議員(和歌山第2区)に2回目の当選。 衆議院議員(和歌山第2区)に3回目の当選。 |
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■現在の役職
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| ■石田真敏のデータ |
| 職 歴 | 衆議院議員秘書、県議会議員(3期11年)、海南市長(2期8年) |
| 県議会議員になった時期,年齢 | 昭和58年4月10日、30歳 |
| 海南市長になった時期,年齢 | 平成 6年4月10日、41歳 |
| 衆議院議員になった時期,年齢 | 平成14年4月28日、50歳 |
| 役 職 | 和歌山県市長会会長、全国小都市市長会会長、 県バドミントン協会会長等を歴任 |
| 家 族 | 知佐子夫人と長女、次女、長男 |
| 好きな言葉 | 至誠 敬天愛人 |
| 趣 味 | ゴルフ(90前後)、スポーツ(小・中時代は野球に明け暮れ、高校で退部)、 書道(高校書道部)、読書(愛読書は安岡正篤氏の著書)、長男と遊ぶ事 |
| 海南市長時代に職員によく言った言葉 | 議論を尽くせ、情報の共有 |
| ■コメント |
| ●恩師・坊秀男先生の激励 |
| (元衆議院議員(大蔵大臣) 坊秀男氏より) この度、石田真敏君が同士各位のご推挙を得て、いよいよ政界進出の決意を 固め、やがて時至らばその運動母体としての重大役割を託すべき後援会結成にと りかかっているやに承っております。 石田真敏君は、早稲田大学卒業後、五ヶ年の間、私の秘書として、中央地方 を通ずる政界の場において実践政治の修行を積まれ、今や風に臨んで天空高くは ばたかんとする若鷲の如き颯爽たる青年政治家であります。 私はかつて五年間、同じ釜の飯を食ってきた体験を通じ、人間石田を深く信 じ、大きな期待をかけるのであります。 市民の皆様、願わくば、奮って後援会にご加盟賜わらんことを! |
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昭和57年
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| ●石田市長を解体すれば |
| (元和歌山県議会議長 下川俊樹氏より) 昭和58年の県会議員選挙でともに初当選を果たしたのが最初の出会いで、当時私は39歳、彼は31歳。 お互いに良い意味でのライバル意識をもって、新しい県政や開かれた議会のあり方など、寝食を忘れて二人で議論を交わした。 彼が本会議場で、持ち前の爽やかな弁舌で当局に対し鋭く切り込む場面を目の当たりにし、一政治家として大いに刺激を受けたものである。そうした彼が、県議3期目の半ばで市長選に挑戦したとき、非常に寂しく思ったが、郷土のために身を捧げる決意をした彼の情熱に打たれ、わがことのように応援した。彼の政治に対する、真摯で妥協を許さない姿勢は、政治の世界に入ってから現在まで全く変わっていない。 現在48歳。市政のため、そして県政界のエ−スとして、大きく飛躍されるよう、心からエ−ルを送っている。 |
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「青年市長ニッポンの新世紀/全国青年市長会編」平成12年10月16日/河出書房新社発行より抜粋
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| ●友人の一言 |
| ((株)タカショー社長 高岡伸夫 (海南高校同級生)より) 坊秀男元大蔵大臣の引退後、私は石田君と約束を交わした。「私は経済で、石田君は政治で、お互いに地域に貢献していこう。そして、やがては国に貢献しよう!」と。石田君には、今こそ県民の声を背に、地域のために、国のために人生を捧げて欲しい。 |
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平成14年3月
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| ■政治家をめざして |
| ●市長になるまで |
私は、物心ついた頃から政治家になりたかったようである。はっきりしているのは小学6年生の時の校長先生が、「彼は当時から政治家になりたいと言っていた。」と言われたことから、遅くとも小学6年生の時には公言していたようである。 確かに高校3年生の時、大学入学後の育英会奨学金をもらうための面 接試験の時に、将来は総理大臣になりたいと言って、何人かの試験官に笑われたことは記憶にある。当時の動機が何であったのかは憶えていないが、30才で県会議員に初当選した頃には、「世の中の枠組みづくりに参画したい。」という明確な動機を語るようになっていた。 さて、私の父親は洋服商で、4人の兄姉にも政治に特別 の関心を寄せる者は誰もいな い。そのような中で、何故私だけが小さい頃から政治家を志したのだろうか。 思うに、洋服商ながら政治に関心の高かった父親の影響によるところが大きいように思う。
夕食時には、父親の政治評論を聞き、日曜日には父親と共に時事放談やNHK政治討論会を見て育った。これらのことが、その後政治に関心を持ち続けることになったと思う。 現に、大学への進学も政治家をめざしたものであったし、大学卒業時も一社の会社訪問もせず、坊秀男衆議院議員のもとを訪ねた。 自分にとって、坊秀男先生の秘書になれたことは実に幸運であった。政治に関心あるとは言え、それこそ純粋無垢な若者にとって仕える先生はまさに政治のお手本であり、そのすべてを吸収しようとするものである。それだけに、無批判に良い点も悪い点も吸収してしまうと言ってよいと思う。 その点、坊秀男先生は孤高の政治家であ り、ステ−ツマンのあるべき姿を身近に学ぶことが出来たと思う。
以来、県議として11年間務めさせて頂いたが、県議としての経験は、地方政治を行う上でほんとうに貴重なものであった。私自身も大学受験期に次ぐ勉強をしたように思う。この経験・研鑽と共に、同期で元県会議長の下川さんとの出会いをはじめ、政治・行政・経済界等々ほんとうに多数の方々との出会い も、何ものにも変えがたい財産となってい る。そして、これらすべてが今、市長として職務を遂行する上で大いに役立っている。
ただ県議当時は、市長に立候補するということはほとんど考えていなかった。当初の志通 り衆議院を考えていた。しかし、世の中思い通りに行かないものである。そうこうするうちに市長が引退され、強力な対抗馬がいるという状況の中、私が市長派から出馬することになった。厳しい選挙戦が予想されたほか様々なことを思い、出馬に当たってはそれなりの決断がいったが、こと市政については県議の経験もあり、ある程度は把握できていたし、なすべき課題についての考えもあった。 選挙戦は3カ月足らずの短期決戦であり、予想通り厳しいものであったが、支援者のおかげで、どうにか当選することが出来た。ちなみに票数は、15,878対15,104であった。 何が何でも市長になって、こんなことをしたいという強い気持ちではなく、以上述べたような経緯で立候補し、当選させていただいたわけだが、市長就任後は、全身全霊を打ち込んで今日までの6年間その職務に精励してきたつもりである。事実強く感じることは、自分がそれこそ四六時中、海南のことを考えているということである。最終責任ということを絶えず感じている。県議の時には感じなかった思いである。 そういう思いの中で気づいたことが、海南市のロケ−ションの素晴らしさである。このことは海南市民の誰もが口に出して言ったことのないことであったと思う。「海南市が私たち市民でさえ少しも気づいていない素晴らしい可能性を秘めたまちであることも、また彼は私たちに知らしめてくれました。」とは、二期目の市長選に際しての後援会長の言である。 |
| ●海南市のまちづくり |
さて、海南市のまちづくりであるが、コンセプトは、「素晴らしいロケ−ションを生かして、都市機能を享受しながら、豊かな自然の中で暮らせるまちづくり」であり、そのキャッチ・フレ−ズを「安心して、豊かに、楽しく住めるまちづくり」としている。そしてこれらがバランス良く発展しているまちづくりを目ざして、足らざるを補うための施策展開をし、市民が生活に満足し、いつまでも世代交代がなされるような理想郷をつくることが私の目ざすまちづくりである。 先ず、海南市の素晴らしいロケ−ションを紹介すると、高速道路のICが2ケ所あり、そこから関西空港まで約30分、市内どこからでも1時間足らずで関西空港に行け、さらに大阪市内まで車、JRの電車ともに1時間、神戸、奈良へも1時間少しの交通 の便。 また、市役所から隣接の和歌山市にある県庁まで車で25分。この間には文化会館、美術館、博物館、図書館、医科大学、コンベンションホ−ル、野球場、陸上競技場、水族館といった県立施設が揃い、都市機能は充実している。 さらに、自然環境は、景勝の地として名高い和歌浦湾の一角に位置し、和歌山マリ−ナシティのテ−マパ−クと共に、海水浴、ヨット、魚釣りを楽しめる海が目前に広がり、また車で30分も走ればゴルフ場が10ケ所もあ り、アウトドアライフが楽しめる川や山のスポットも多数ある。またもう少し足を伸ばせば温泉も楽しめる。 このように、都会や国際空港に近く、都市機能も揃っていて、なおかつマリンレジャ−や、山のレジャ−があり、ないのは雪ぐらいという大変立地に恵まれた所である。 恐らく、21世紀に求められる理想的なロケ−ションと言って過言ではないと思う。 このロケ−ションを基に、理想郷を目ざして様々な施策展開をしているが、ここでそのすべてを記す紙数はないので、特徴的なものを紹介する。
A海南市には、輪島塗のル−ツでもあり、全国四大産地の一つでもある紀州漆器や、全国で圧倒的シ ェアを誇る日用家庭雑貨などの地場産業が盛んなため、それらのさらなる振興と市民のデザインマインドの高揚を目的に全国規模のデザインコンペを実施し、デザイン界から高い評価をいただいている。ぜひデザインを一つの核として渦を巻き、鋭い感性をもったデザイン関係者との交流が盛んになり、その中から新しいモノや感覚がうみ出されることを期待している。同時にこのこと が、市民全体のデザイン・マインドを高め、快適で美しいまちづくりに好影響を与えるものと確信している。 B市民が憩える新しい公園を創ることになった時、先ず思ったことは地方都市といえども遊ぶ時間も友達も、遊べる場所も少ない今の子供たちに「野山を駆けめぐって遊べる」ような場を提供したいということであった。かつて近所の裏山は、子供たちにとって魅力的な遊び場の一つであり、そこで遊びの中から色々なことを学び成長していったものである。特に感性、創造性、社会性は、様々な遊びを通 じて育まれるものだと思う。 これから学校週五日制が実施されるなか で、子供たちが余暇時間に友達と一緒になって精一杯身体を動かして駆けめぐり、虫や木々と接することで感性を触発され、遊びを通 じて創造性を高め、友達とのふれあいを通じて社会性を育み、大きく成長してくれることを願い、広さ9haの「わんぱく公園」を建設した。 C「都会は楽しいけれど、地方では楽しくない。」という声をよく耳にする。 都会では、色んな映画や演劇、コンサ−トを気軽に観に行けるし、素敵なレストランも数多く、遊戯施設も近くにあるということだろう。そしてこれらは少しの例外を除いて、全て民間が商売として行なっていることである。一方、地方では商売として成り立たないゆえにこれらの「楽しみ」はないのである。とするならば、いつまでたっても地方には、これらの「楽しみ」がないことになる。 そこで、「楽しみ」を自分達で演出する機関を作ることにした。それが財団法人海南市文化スポ−ツ振興事業団である。 この事業団が中心になって、皆様のご協力をいただきながら、市民が参加できる様々な文化的な催しやスポ−ツイベントを企画・運営して行く予定である。 このことによって市民の皆様に、ある時にはボランティアとして主催者側で、またある時にはそれを楽しむ側で参加していただき、一年を通 して海南のまちを楽しくにぎやか に、そして至る所でふれあいの出来る街にしてゆきたいと思っている。 |
| ●地方の現状 |
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今の日本の混乱は、政治・経済をはじめ色々な問題があるけれども、基本的な問題は21世紀の日本の姿を誰も示し得ていないことだと思う。「都会の不満、地方の不安」(茂木敏充著)という書物があるが、21世紀の日本の姿はまさしく「都会の不満、地方の不安」を解消することだと思う。 確かに都会で暮らすことは便利かもしれない。しかし一方、一時間以上の通 勤や風通しの悪い狭いマンションでの生活、さらには単身赴任等を企業から当然のこととして強いられ、まさしく非人間的な生活を定年まで続けているのが現実である。その結果 、家の中に父性の存在をなくし、本来社会の根幹をなすべき家庭、家族や地域社会が崩壊の危機に瀕しつつあり、それが青少年問題につながり、奥さん方の不満にもなり、そしてこんな状況では子供を生めないという少子化問題にもつながっているのではないかと思う。そして、買いたいものが何もないといわれる程に成熟した社会となった現在、多くの人々が今の生活に疑問を感じ、もっと人間らしい生活をしたいと思い始めているのではないだろうか。 農業をやって自分で汗して作物をつくってみたいとか、もうちょっと自然の中で暮らしたいとか、夕食を家族でとか、一家団欒とかそういうことが、「豊かさ」「癒し」という言葉になって、最近盛んに取り上げられているのも、そのためだと思う。 一方地方では、手塩にかけて高校生まで育て、さらに多額の仕送りをしながら東京や大阪の大学を卒業させた子供たちが、故郷に就職すべき勤務先が見つからないために都会に残り、その結果 地方では若者が減り衰退しはじめているのである。 この原因は、都会に限度を越えてあらゆるシステム、即ち政治・経済・文化の機能をあつめすぎたことにあると思う。つまり、中央統制を強めた昭和16年体制を未だ継続しているからであると思う。 この構造の改革を成し遂げなければ、いつまで経っても「都会の不満、地方の不安」を解消することはできず、21世紀の日本に明るい希望も抱けないのである。それだけに、中央集権システムの改革と財源の伴った地方分権は、何としても実現しなければならない課題だと思う。 |
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